旧ブログにて「2021/06/01」に公開していた記事をこっちに持ってきます。割とアクセス数も多く、反応も良かったやつですね。
やりたくない仕事を「やらざるを得ない時」どうするか
- ひろゆきさんの場合
⇒締め切りギリギリまで引き伸ばして、直前に追い込む。
これに関しては、ぼくはちょっと違う考えということもあるし、「人それぞれ&ケースバイケース」という気がしますね。
例えば、他に抱えている通常業務があるっていう場合であれば、面倒くさい業務については、緊急性が高くなければガンガン後回しにはする。
けど、「これは後回しにすると余計に面倒くさくなりそうだな」というものについては、先に片付けちゃうこともある。要は「精神的負担を軽くすることを優先する」という目的で。
それこそ、抱えている同種のタスクの中でウェイトが異なる場合なんかも、先にやりやすい方をガーッと午前中のうちに片付けて、ランチ後にじっくりそこに取り組むということが多いかなあ。その方が集中力が持続しやすい気がして。
あと「夏休みの宿題の対処法で人間性がわかる」というのは、なるほどと思った。
因みにぼくは小6の時だったか、夏休みの宿題を「最初の3日間」で大半終わらせて、後はのんびりしていたことがあった。
これも今思うと、「精神的負担の軽減を早期から図る」ということを自然とやっていたんだろうなあ。
- ひろゆきさんの回答
⇒人と関わるのが嫌なら、人の居ない職場に転職したほうがいいのでは。
これもわかる。
ぼくの場合「人が嫌い」というほどではないけど、質問者と同様に、通勤でも会社内でも「人がいない」っていう状況のほうが楽しいしすごく気が楽なんですよね。
同じような理由で、リモートワークとなった今でも、やっぱり土日祝の仕事はそもそもアサインしている人数が少ないから、めっちゃ気が楽ですね。
あと単純に、電話対応含め平日作業のいくつかがなくなってる分、仕事量がそもそも少ないんですよね。なので、頭使う仕事に集中できる。
辛い仕事の対処法
前から書いてきていると思うけど、極論「適当」でいいと思う。
「生活費を得るためだけの仕事」をするのに全力を出すとか、ぼくからしてみればバカバカしいことこの上ないですね。
よく老害連中なんかは「やりがい」って言葉を使いたがりますけど、ぼくから言わせれば「仕事にやりがいを持て」って言ってる老害ほど、「おまえ絶対その仕事にやりがいなんて持ってないだろ」とつつきたくなりますね。
多分そういう人って、「自分はやりがいを持ってこの仕事をしている」と自分に無理やり言い聞かせていることで、その仕事に対してのアイデンティティやレゾンデートルを無理やり見出そうとしているだけだと思う。
そうじゃないとやってられないとか、そうでもしないと自分が保てないって感じで。
或いは「それ以外に自分には何もない」というのが自分でもわかっているから、その空虚さを「やりがい」などという曖昧模糊な言葉で埋め合わせをして、何も持たない自分を正当化しているだけにしか見えないんですよねえ。
だってそもそも「やりがい」なんて、人から持たされるものではなく「気付いたら持ってるもの」でしょうに。
で、生活費を得るためだけの仕事をするのに、必ずそれを所持してなくてはいけないのかと言ったらそうじゃないですから。
「やりがい」なんてのは生業の免許証ではなく、「個人が勝手に持っていればいいもの」でしかないですから。
結論、日本はそう簡単にクビにはならないのだから、最低限のタスクだけこなしていればいいよって話ですね。
もちろん、評価はされないだろうから昇進・昇給もしないだろうけど、そもそもその仕事に「やりがい」を感じていないってことは、その仕事をそこまで好きなわけではないのだから、生活できるだけの賃金さえ得られればそれでいいでしょう。
昇進・昇給した上で楽になりたいのならば、そのために頑張ってみればいいだけだし。
まあ、楽しくもない・やりがいを感じない仕事で無理して頑張って昇進してもきっと楽にも楽しくもならないでしょうけど。
いずれにせよそれすら苦に感じるようであれば、それはそもそもその仕事があなたに向いてないってことなんだろうから、「あなたがやっていて苦にならないこと・楽にこなせること」を仕事にすればいいって話。
自分に合わない仕事を無理にやって高い給料を得るより、安くても楽な仕事をしたほうがメンタルが安定する(ストレスフリーに近づく)から、生活における幸福度は間違いなく上がります。いまのぼくが正にそうですから。
なので、「人生の安定的基盤を維持するために、好きでもない仕事で正社員になろう」なんて、まかり間違っても考えないほうがいいです。その世間の常識や風潮は、もう完全に形骸化しているから。
だってそれって、会社や仕事に依存した人生じゃないですか。でも残念ながら、会社や仕事はあなたを助けてはくれませんから。
何故なら会社にとってぼくやあなたは「ただの労働力」でしかなくて、ぼくやあなたの代わりなんていくらでもいるから。一時期流行った「リストラ」が正にそういう意味じゃないですか。
フリーターのぼくや、多くのエキスパートではないただの正社員・契約社員・非正規雇用なんて、「時間を会社に売っているだけ」ですから。
なので、「適当」でいいんです。その仕事に、あなたが必要以上に責任を追う必要なんて無いんです。
もう、コロナ禍で必要以上にストレスがたまる時代なんですから、適当にいなしましょう。てゆーか、そうじゃないとこれからの時代は生き抜けないと思います。