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タイパ批判における「無駄にこそ価値がある」的反論の意味の無さ

久々にオピニオン系のツイートをしたので、それを貼ります。

元ネタツイート

もうホント、正直この手のタイパ批判は聞き飽きてるし辟易してる。いい加減にしろと。

ぼくから言わせると、こういう人って時間の大切さをまるで理解していない「鈍臭い人」だなと。

「無駄にこそ価値がある」的な文脈で語られる「無駄」とは、「自身が有意義に価値を見出だせるもの」という条件下で、「贅沢」という言葉で表現する方が正しいという前提がまずある。

故にタイパ重視における「無駄」とは「何の価値も生み出さない物」であり、「それを捨て贅沢を得る」=「有意義な人生の最大化」を目論む物なわけだ。

で、その手段としての「タイパ(効率重視)」という考え方って話なわけだ。

ぼくが「映画館嫌い」で「倍速視聴推進派」なのも、単に時間に追われているからではなく、偏に「1本でも多くの作品に出会いたいから」だ。

その一方で他にやりたいこと・やらねばならぬことがあまりにも多すぎるから、時短のためにそうしている。

先述した「有意義な人生の最大化」を目論んでいるからこそだ。

でもそれによって、そのエンタメの楽しみが半減するとは思わないし、つまらなく感じたことは1秒もない。

倍速で圧縮されることで面白さも縮小されると考えている人は、ぼくから言わせればやはり「鈍臭い人」だ。単に倍速視聴になれてないだけ。

いずれにしても、命と体と時間なんていくつあってもまるで足りないわけだ。

となると自分的に意味の無いものに割いている時間なんて1秒もないのは元より、映画も1秒でも短いならそれに越したことはないわけだ。

タイパ批判厨はそこを全然わかってなくて心底呆れる。逆にそんなにのんびりしてて大丈夫なのかと心配になる。

お前らわかってんのか?おれもお前らも人生1回しか無いんだぞ?

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