昨年、悪い意味で話題になった映画「大怪獣のあとしまつ」を、割と最近見ました。
確かに「なるほど、こりゃつまらんわ」となりました。
でも、もう最初からつまらないことがわかっている状態での「つまらなさの確認」としてだったので、最初から2.0倍速で見ました。
とにかく期待値を無駄に上げすぎた感
まず「怪獣死んだのはいいけど、その後処理どうするよ問題」という、今までの特撮でもスルーされてきた「わざわざ描かれなかった問題」に着目し、それで1本映画作ろうという試み自体は非常に面白いと思うんですよ。
もう、この時点で期待値は上がりますもんね。
で、ティザームービーとか、この映画の導入の仕方とかを見ると結構シリアスな感じに見せてるもんだから、「シン・ゴジラ的に徹底的にリアルに描いていくのかな?」と思うわけで、ここでも更に期待値は上がりますよね。
ところが、西田敏行さん演じる総理大臣が閣僚たちとその問題について話し合うシーンの中での、「怪獣から発せられる腐敗臭の匂いをどう国民に伝えるべきか」みたいなくだりで、大の大人達が「うんこ臭だ!いやゲロ臭だ!」みたいな言い合いをしてて「いや、マジでこれ見てられないw」ってなるんですよね。
なんていうか、そのくだらなさのレベルが「昭和の小学校低学年レベル」で、壊滅的に面白くない。
そもそも「コメディの空気」を作れていない
まず「大怪獣のあとしまつ」というタイトルで、そういう設定の映画ということは、必然的に「会話劇」を主軸としてその面白さを作っていかなくてはいけないわけじゃないですか。
で、導入部分や全体的な映像の雰囲気をシリアスな感じにしてそれを「フリ」にしているというのならば、最終的にそれは「フリでしかなかった」という形で、のちのボケ(というか笑いの要素に)昇華されなければいけないわけですよね。
にも関わらず、主演の山田涼介さんやヒロインの土屋太鳳さん、および恋敵的ポジションである濱田岳さんらは、終始崩れることなく「シリアスなシナリオの上」をずっと歩いていて、一切彼らの言動や行動に「ボケあるいはそれに転ずる要素」が無いんですよね。
なので、フリがフリとして機能しておらず、「結局、シリアスにしたい」のか「コメディにしたい」のかがわからず、その辺りの描き方が中途半端なんですよね。
あと、首脳陣の会話シーンにしても、「大の大人がくだらないことを喧々諤々と論じている滑稽さ」を描きたいのならば、それこそシン・ゴジラみたいに「当人たちは至って真剣」という空気にしておかないと面白くならないわけで、それってお笑い・コメディのメソッドとしては割と初級の話だと思うんです。
ところが、肝心のフリに対する「ボケ」が弱い上に「低レベルな下ネタ」なもんだから、一笑い起こすにしてもその火力が圧倒的に足りず、かつそれに振り回される人やツッコミ役が不在なもんだから、「え?ここ笑うところ?それとも単なる軽口?」というのが非常に分かりづらい。
もうこの辺のシーン全て、アイススケートリンクで撮影しているのかってくらい、空気がキンキンに冷え切って、演者全員がツルッツルに滑り倒してて、マジで見てられなかった。
まとめ:駄作としても期待外れ
「駄作としての期待」すらも裏切っているので、そういう意味ではやはり「全てにおいて中途半端」というのが一番ダメポイントかと
言わずもがなのあのクソ寒いギャグ(しかもおじさんが言いそうな)の応酬がもうかなりキツイし、そもそもコメディの空気を作れてないからやることなすこと全スベりw
— (株)ゆう (@yusuke1006_t) April 13, 2023
公開当時のツイッターのタイムラインは、怒りに満ちたツイートで溢れていたんですよね。
で、ツイートにも書きましたが、ぼくの場合「そうとわかった上で見ている」ので、そこまで「駄作だったことに対する怒り」というのはなかったんですよ。
ただ、そうなると「じゃあ逆にどれくらいショボいのか楽しみ」という逆方向の期待が生まれていたので、「どうかそのショボさ・ダサさで笑わせてくれ」という期待になっちゃってたんですよね。
で、見てみた結果「駄作としても期待外れ」という最悪の結果にw
だからもう、そういう意味で「全てにおいて中途半端」になってしまっているのが、この映画の一番ダメなところかなと。
なので、この作品に「三谷幸喜的な喜劇要素」を期待しないほうがいいです。先述したように、それらが壊滅的に面白くなくて滑り倒しているので。