どうでもいいことにムキになりながら無駄に熱く長く書きなぐる日記帳ウェブログ
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先日、声優の櫻井孝宏さんの不倫報道が、所謂「文春砲」によって暴かれました。

文春に限らず不倫報道そのものに対して「そもそも不倫報道って要らんやろ」って、誰もが思うと思うんですけど、今回のこの櫻井さんの件についてはマジでその極みかなと。

これまでの数ある不倫報道の中でも「一番要らんやろ」な報道だったと思うだけに、「不倫問題」などという死ぬほどどうでもいいトピックでありながら、結構頭にきてますよ、というお話です。

櫻井さんが周りを不幸にしたのではなく「報道が」周りを不幸にしている

例によってツイートに書いたことが全てではあるが、もうちょい字数を割くとこうだ。

まず、確かに「不倫」という行為については当事者間のトラブルとは言え、「離婚あるいは訴訟⇒慰謝料支払義務」という流れが法的手続きに則った上でなされることから、「民法上では違法行為」と見做されている。

つまり、「犯罪ではない(刑法上の刑罰はない)が【違法】であることに変わりはない」ということだ。

では、違法行為だからといって「人の不倫(不貞行為)がマスコミによって報じられる必要性があるのか」と言ったら、どう考えてもぼくは「無い」と思っている。

何故なら、不倫は「男女個人間の問題だから」ということ以上に、「その事実が暴かれたとしても誰も得をしないから」だ。

例えば、何らかの社会的不正行為や犯罪が暴かれれば、実害を被っていた側が以降のそれを阻止することもできることから、ケーススタディとして提示する意義というものはあると思うし、社会的制裁にもなると思う。

しかし、不倫問題の本質は「男女の下半身事情」という部分であるため、こうした報道自体が露悪的なものでしか無い。

その上、そもそも不倫問題については「個人間トラブル」でしか無く、被害者の数・範囲・規模は極めてミニマムなものでしかない。

つまり、報道したところで「得をする人間」は、「その報道をおこなった発信元」と「情報提供者」くらいしかおらず、報道によって不幸になる人の数のほうが圧倒的に多いのだ。

また、刑事上の事件ではなく、民事上の個人間トラブルでしか無いため、その不倫によって実害を被っているのは「当事者達(された側・場合によっては不倫相手も)」しかいない。このため「社会的制裁」を与える意味も意義も、実はない。

故に、本件についても、櫻井さんが周りを不幸にしたのではなく「報道が」周りを不幸にしているものでしかない、ということになる。

無論、だからといって櫻井さんが悪くないわけでは当然ないし、肩入れするつもりはない。

数ある不倫報道の中で言えば、まあまあ悪質な部類に入ると思うし、後にどちらかあるいは両方に刺されるみたいな自体に発展したとしても同情はできないだろう。

しかし、不倫を正当化する訳では無いが、元を正せば「この報道がなければ、誰もその事実を知らなかった(知らずにすんだ)」わけですよねえ?

ということは、ツイートにも書いたように、「奥さん・知らずに付き合ってた不倫相手・番組&スタッフ・スポンサー・ファン・その他関係者」等、誰も傷つかずにすんだし、営利的な実害もなかったわけだ。

って考えたらマジで「この報道の意義や意味って何?」って話でしかないのだ。

仮に、櫻井さんが報道されないまま不倫を継続したとしても、いずれ限界はが来てどこかのタイミングでめくれる事はあると思う。

しかし、そこで発生するトラブルは全て当事者間で片付くだけの問題のはずで、櫻井さんの出演する作品や番組、それらを支えるスポンサーらが実害を被る程の問題にまで発展しないはずだ。「あくまで個人的な問題」である以上は。

なのに、「報道」がなされたことによりそれが「騒動」に変わり、列挙した関係者全員が結果的に傷つくあるいは実害を被ることになっているわけだ。

で、その報道を行った発信元が、これまた「週刊文春」であると。またお前かと。

人の人生を壊すことに味をしめているようなこんな会社、マジでさっさと潰れたほうがいいと思う。

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