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遂に会社を辞める時が来た!

久々に普通の日記。

このブログでは年末年始をはじめ、ことあるごと「早く会社を辞めたい」と書いてきたわけだが、遂にそれを実行する時が来た!というお話です。

別にアフィで食えるようになったわけではないどころか次も決まってない

ぼくはかねがねこのブログで、「早くアフィをはじめとするネットビジネスで生計を立てられるレベルにし、会社を辞める」と宣言していた。

しかし、様々な理由から、「その時を待たずして辞める決心をする」に至った。なので、残念ながらアフィで食えるようになったわけではない。

では、何故次の仕事も決まっていないのに辞めるのか、その理由について記していく。

因みに、はじめに断っておくと、「ぼくはもう二度と雇われるつもりはない」という気持ちである。

つまり、現状は「まだ仕事を探してもいない」どころか、「探すつもりもない」という状態だ。

辞める理由2つ

その1. 「エア出社」がそろそろ限界

このブログでも度々出したことがあるんだけど、そもそもこの「エア出社」という謎ワードの意味について一応前提として説明しておきたい。

まず「エア出社」の「エア」とは「エアギター」のエアだ。エアギターの意味については言わずもがなではあると思うが、

「エアギター=実際にはギターを持たず弾いてるフリをすること」

という意味だ。

つまり、「エア出社=出社したフリをすること」ということである。

ぼくはこの2年間、「出社しているテイ」で、基本的にはずっと家にいたのだ。

コロナ禍真っ只中、ぼくがいた会社は割と早い段階から「リモートワーク」になり、そこから「リモートネイティブ」として「今後は出社がない前提」に一度は決まった。

だが、そのコロナも落ち着きを見せ始めると、コミュニケーション向上を目的として「出社前提」に変わっていき、最終的には「週3出社必須」となった。

理由としては、リモートによるコミュニケーション不和や、単純にコロナ禍でのストレスによる退職者が増えたり、業績悪化・リモートによる業務効率の低下等のようだ。

「リモートでのコミュニケーション不和」は「そもそも本当にリモートであることが原因なのか?」、という点が個人的に大いに疑問が残るし、そもそも論それは「リモートが諸悪の根源」ではなく「リモートワークの課題として、どうリモートでそれソリューションしていくか」を考えるべきだろうって話で全く納得がいかないのだが。

まあ、そんなこんなで最初のうちは仕方なく出社していたが、様々な理由から「あれ?もしかしてこれ、行かなくてもバレないんじゃね?」ということに気付いてしまい、そこからぼくのエア出社が始まった。

しかし、今頃になって会社は「部門アドレス制(所属部署ごとの島分けはされるが島内では好きな席でOK)にする」とか言い始めた。

そもそもぼくのいた会社は「フリーアドレス制(固定座席なしで、オフィス内の好きなところで仕事する)」だったのだが、「結局それだと出社してもあんまコミュニケーション取らない人いるよね」と、会社側がぼくのような人間がいることに(今更)気付いてしまったみたいで、急遽その制度が始まった。

ぼくは土日に出勤する人間なので、平日は多くても3日しか行かない。このため、こうなると必須である週3のうち週2(土日)はごまかせるが、平日だけはごまかせなくなってくるのである。

今までは「フリーアドレス」であるが故に、社内で所在が確認出来なくても問題なかったが、流石に所属部門で固まらなければならないとなると、もういよいよ誤魔化せなくなってきたというわけだ。

なので、この制度が始まるという決定がなされたときに、ぼくの退職の意向がいよいよ現実味を帯びてきた。

だがそんな中、「冬のボーナス」が貰える事がわかった。しかもぼくにしてみたらまあまあでかい金額で。

その2. 「ボーナス+功労金+特別休暇」がもらえることがわかった

今の会社に在籍していた中で、ボーナスを貰ったことが実は2回くらいある。

因みにぼくは、一瞬「契約社員」になったこともあったが、今は「アルバイト」だ。そんなバイトでも、2回くらいこれまでにボーナスを受け取ったことがあるのだ。

で、今回数年ぶりにそれが貰えることになり、しかもおそらく過去最高額だった。

加えて、ぼくは今の会社のグループに入って「勤続10年」が経過しており、「永年勤続賞」が貰えることも決まっていた。

因みにその報酬は、「報奨金+特別休暇5日分」。

つまり、給料とは別に「ボーナス+功労金+特別休暇」がもらえる事が確定したのだ。

これがわかった瞬間、ぼくは嬉しいという気持ちよりも「今だ!」と思った。

「今だ!辞めるなら今しかない!」

そう思った。そこからはもう、完全に辞めることで頭がいっぱいになった。

「生活保護」でいけんじゃね?

問題は辞めた後の生活だ。

正直な所、ぼくは今の会社に入ったときから「ぼくはこの会社を最後の職場にしたい」と考えていた。

つまり、「ここを辞めるときは、ぼくがネットビジネスで独立できるとき」と考えていたのだ。

しかし、現状それは叶っていないどころか、掠ってすらいない。

そんな時、ふと「生活保護」というワードが頭を過った。

それこそ、メチャクチャベタな話ではあるが、「ひろゆき」さんなんかが配信で「生活保護を勧める旨の発言の切り抜き」なんかもチラチラではあるが目に入っていたこともあり、存外悪くないのではないか、と思っていた。

で、そこから主にChatGPTを使って生活保護の予備知識を蓄え、YouTubeでもその系統の動画を数十本見て、「失業手当受けるよりこっちの方が断然良いのでは?」と思うようになった。

というのも、失業手当って、自己都合退職の場合、実際に受け取れるまでに3ヶ月くらいかかってしまう。

しかし生活保護は「人間としての最低限の生活を保護するためのもの」であるので、本当にお金に困窮している状況であれば、すぐにでも給付は開始されるらしい。

しかもぼくの場合、貯金はないし車も免許すら持ってないし、持ち家でもないので所謂「資産・財産」と呼べるものは持っていない。このため理論上、審査は通りやすい。

一方、生活保護のデメリットとして「ローンが組めない」という話があるが、ぼくはそもそもカードブラックの身なのでローンは始めから組めないので、これも問題ない。

おまけに酒・タバコもやらないので、そもそもお金がかからない。

要は、事前に確認した問題点については概ね「問題ない」のだ。

故に、最後の給料(+ボーナス&功労金)を使い切ったら、生活保護に切り替えようと思った。

だが生活保護だと、家賃扶助を受けても、なんやかんやで自由にできるお金がぼくの場合「4万くらい」しか残らなそうだった。

これには確かにに頭を悩ませはしたが、「自炊中心の生活を始めとするライフスタイルの見直し」を図ることで、どうにかなりそうだと判断した。

実は自分のライススタイルを根本から見直したかった

「自炊中心の生活に切り替える」

とはいっても、この10年以上にわたって一切自炊なんてせず、それどころか寧ろ「自炊のほうがコストがかかる」とすら思っており、「自炊なんてコスパが悪い」なんて思っていた。

しかし、最近YouTubeのショート動画で「けんた食堂」や「バシャウマ」さん等の、所謂「料理系動画」を目にすることが多くなってきていて、ちょっと自炊も悪くないかもなと思い始めてきていた。

それどころか「1週間食費¥2000生活」みたいな動画も目に入るようになったので、それならば4万程度の生活費でも全然やっていけるどころか、今までは出来なかった貯蓄すら可能なんじゃないかとすら思い始めた。

また、ぼくは数年前に「体重80kg⇒65kg」の減量に成功したものの、そこから完全に下げ止まり、現在はそこから3kgほど増量している。

故に、いい加減「痩せたい」とも考えているわけだが、外食&コンビニ系の食材のみでや痩せるというものに限界を感じ始めてもいた。

そうなるとやはり「痩せる食材を美味しく調理する」という方法が、結果的に最も合理的でコストを抑えられるんだろうなと考えを改め始めてもいた。

そうしたことから、自炊に対する意欲がめちゃくちゃ湧いていて、いま早く自炊したくてしょうがないというモードにすらなっている状態でもある。

そんなこんなで

以上の理由から、ぼくは2025年3月いっぱいで今の仕事を辞めて、ニートをしながらネットビジネスに専念していくことにした。

冒頭にも書いたが、ぼくはもうどこにも雇われるつもりはない。

ネットビジネスが上手く行かなくても、生活保護があるからなんとか生きていける。

「生活保護」というとなんだか、「人生の落伍者」的なレッテルや劣等的なイメージがあるかも知れないが、ぼくはそうは思わない。

人は何のために働くかと行ったら「お金のため」ではあるが、人が本当に欲しいのはお金以上に「時間」の筈だ。

低収入による自炊生活を余儀なくされる一方で、今まで好きでもない仕事に割いていた「時間」が、ごっそり自分のものになるのだ。

これはかなりメンタル的に良いことのはずだ。

なので、これを書いている現時点(3月上旬)の時点で、退職の日が待ち遠しくてしょうがない。

今は、「自炊生活をおこなうための準備」を着々と進めており、ボーナスが入った今、自炊に必要なアイテムを買い揃えつつ、買い替えられるものも今のうちに買い替えようとしている最中だ。(先日7年ぶりくらいにメガネを買い替えた)

なんか「一人暮らしを始める直前」の感じを思い出していて、今非常にワクワクしている。

これはぼくの人生にとっても、結構大きめなターニングポイントだとも思っている。

人生なんて、所詮は退屈しのぎのゲームだ。

この状況も「ゲーム感覚」で楽しんだもん勝ちでしょう。

ぼくはぼくの人生というゲームを、死ぬまで楽しんで、笑って死のうと思う。

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