冠婚葬祭そのものについて言及するのはこのブログでは初めてな気もしますが、とは言え、内容的にはいつも書いているような定期的な内容です。

要するに「思考停止したまま定着した慣習」ってやつがぼくは死ぬほど嫌いって話です。

 

 「思考停止」してアップデートされない
 慣習や概念に意味なんてないよね


●元ツイート
先日の結婚祝い渡したくない20代女性の新聞投書を叩いてる人多かったけど、同年代女性の手取り14万円がトレンドに入る時代なんだから冠婚葬祭の金品授与は見直されて当然と思う。ご祝儀3万円すら渡せないのは友達じゃないって言うけど、むしろ手取り14万の相手から3万円ふんだくる奴の方が友達じゃない
午後0:18 · 2021年11月28日
●リツイート
ほんこれ

そもそも「冠婚葬祭」が慣習化された文化であることで思考停止して「出すのが当たり前」と思ってることが大間違い

何でもかんでもハラスメント化したくないけど、でもこんなもん要求されたら断りにくいし、ある意味、人の善意とか人間関係維持を人質にとった恐喝と変わんない気がして嫌い。

ツイートでは「人間関係維持を人質にとった恐喝」って表現しましたけど、どちらかと言うと「みかじめ料」って言ったほうがしっくり来ますね。

しかしこれって、冠婚葬祭に限った話ではなく、一年を通して各季節で行われる定期イベント全般的にそうだと思うんですよね。例えば「年賀状」とか。

こういうのって、子供の頃は「なんとなくそういうものだから」と受け入れてやってきていたけど、よくよく考えると、それ意味ある?って話で。

結局、それをやる意味があるかどうかって、いかにそこに意味(や目的)を見出せているかって話だと思うんですよね。

つまり、関わる人がそれに意味や目的を見いだせないまま、ただ「周りがやっているから自分も」って言う思考停止した状態でおこなっても、何の意味もないわけですよ。意味がないから時間と資源の無駄でしかない。

ぼくはそういう無駄が何より嫌いなんですよね。「意味がわからないまま理由もなくやらされる」ということが。

まあ、結婚式のご祝儀とかに関しては、シンプルに「お祝い」って話ではあるけど、ツイートにも書いたように「それをされちゃうと断りづらい」というものでもある。

故に、結婚式をやる側はもっとそういうところに気を使うべきだし、断りたい側が堂々と断われる空気にしておく必要があると思う。

ぼくは、悪いけどどんなに親しい友人でも、結婚式に呼ばれても出たくないし、祝儀も出したくない。(実際に出る・出すかは別にして、あくまで気持ち的にはそれをしたくないという意味で)

でもだからといって、祝福する気持ちがないわけではないのだ。ただ、面倒くさいことやこちらが身銭を切ら「される」ことが嫌なだけだ。

こういうのは可視化されていない「気持ち」という曖昧なものを単にわかりやすい形で具現化しただけのものだ。

しかし、具現化されないからと言って、気持ちが宿っていないわけでもないのだ。「気持ち」とは、そもそもが可視化・具現化されていないものなのだから。

なので、やりたい人が勝手にやればいいだけのものなのだ。可視化・具現化されていないもの以外は受け取ることが出来ないという人は、そもそも友達と呼ばなくて良いんじゃないかな。と思う。

※画像引用元
 https://yoji.jitenon.jp/