会社にとって自分も含めた従業員は「ただの道具に過ぎない」ということに、いかに自覚的でいられるかどうか。

実はこれって結構重要な感覚なのではないかと思うわけです。これをちゃんと自覚できているかいないかで、働き方はもちろん、ストレスとかも変わってくると思うのです。




●元ツイート
上西充子

「首を切れない」という言い方がそもそも、受け入れがたい。「辞めてもらうことができない」でもなく、「首を切れない」。その表現を平然と使う竹中平蔵氏。


「首を切れない」という表現方法に言及しているという点で、ぼくからしてみたら「何を言ってんだか」って感じだったんだけど、よくよく調べてみるとこの方、「労働研究者」という肩書らしいですね。

まあ、具体的に何をされているのかは存じませんけど、要するに「働き方」とかその辺のことも考えている方なのかな?「労働者を守る」的な、労働者に寄り添った思想が根幹ということなんでしょうかね。

だとしても、この表現方法にいちいち噛み付いている時点で、恐らくぼくとは考え方のベクトルは別方向を向いているのかもしれませんね。

だって、ぼくはこう考えているんだもの。

●リツイート
でもそれが会社経営者の本音でしょう?

会社にとってぼくら従業員なんて、「ただの労働力(ツール)」でしかないんだから。

ぼくはそれを百も承知で働いしているから、この言い方にはなんとも思わない。「でしょうね」ってだけの話。


まじでこれでしょ。

竹中さんの実際の文脈については断片的にしか見てないけど、でも竹中さん自体、実業家としての顔もあるわけで、この発言については「経営者的な視点」で物を言っているわけじゃないですか。

それを「労働者の視点」の人がその発言について批評すること自体にそもそも無理があるのに、剰えその切り取ってる部分が表層的すぎて、正直この上西さんという方の発言が、酷く薄っぺらく見えてしまうんですよねえ。

ぼくは、かねてから「ブラック企業・ブラック社会・ブラックワーキング」というものについて言及し、痛烈にそれを批判しているし、従業員をぞんざいに扱う会社なんてクソだから早く潰れてしまえとも思う。

だが、「経営者」と「従業員」の関係性はドライなままでいいとぼくは思っている。

「自分がもし会社を経営する立場なら」という視点で物事を考えれば、「首を切れる・切れない」という発想は普通に出てくる筈だ。

というよりも、日本の会社って「解雇」が簡単に出来ない方が寧ろおかしい。大昔に「終身雇用」が当たり前になったことで、役に立たない人間でも上に立てるようになってしまうという状況が発生した。

これによって「会社のブラック化」が始まったとぼくは思っている。てか、ちょっと言いたいことが詰まってきちゃったので、強引にまとめる。

「首を切る・切らない」という表現に優しさがないってことを上西さんは言いたいんだろうけど、会社は、従業員を守る義務はあっても「雇用の保証」までを守る義務はないと思う。

雇用している間はその従業員を全力守るべきだが、「その従業員の人生をのものを守る必要も、まして管理下に置く権利も有してはいけない」とぼくは思うのだ。

所詮は「労働力」として、その会社のツールとなっているに過ぎないのだから、辞めるのも辞めさせるのも、もっとハードルは低くていいはずだ。その方がお互いのためなのだから。

ぼくがかつて、ブラック会社から抜け出すことに成功し、こうした考えを持てるようになったのは、「自分は所詮、会社にとってただの道具でしか無い」ということに気付いたからだ。

ぼくの人生のことなんて、会社には何の関係もないし、保証なんてしてくれない。だからこそぼくは、「じゃあぼくも好きにやらせてもらう」という気持ちで会社に対して、ある意味で「距離を置く」事ができるようになった。

そしてそのために、契約社員からバイトに戻してもらったりもした。給料や安いが、その分自由に働くことが出来ている。

だが、仕事の愚痴をこぼしたり、会社やそれを取り巻く今の社会制度に不平不満を言っている人ほど、この意識が薄いとぼくは感じている。そういう人ほど「会社に人生を依存」させてしまっているのではないだろうか。

無駄だよ。会社にとって、あなたの人生なんて知ったことではないし、屁の突っ張りにもならないと思ってる。

だったら、バイトに下げてもらって、自由な時間を謳歌するか、副業のための勉強や活動をして、会社だけに依存しないライフスタイルを模索すべきだ。
 
 

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