老子

自分が何者であるかに固執しなければ、自分がなり得る最高の自分になれる
~老子
この言葉を聞いて、昔「ホーリーランド」という漫画の作者の森功至氏が、ホーリーランドの何巻かの巻末で、
「自分探しなんてする必要はない。何を持っているのかいないのか、自分をリアルに認識することだ」
って言っていたのを思い出した。


要は、自分を持っていない人(アイデンティティーが希薄な人)ほど、自分の存在価値を他者に認めてもらわくてはならない焦りに囚われて「自分とは何者なのか」に拘ってしまうんじゃなかろうか。或いは「他人からどう見られているのかを気にしすぎている」とか。

けど、「自分が何者であるか」なんて、それこそ死ぬ間際にでも考えればよくない?

「それを自分自身でデザインしていくこと」ってやつにこそ意味があるってもんだろうし、それこそが正に人生そのものだとも言えるのだから。

何者であろうとなかろうと、お前はお前だって話。

仮に職場で「お前の代わりなんていくらでもいる」と言われたとしても、お前の人生そのものは誰も代わってやることは出来ないのだから。

だからこそ、「自分は何が出来て、何が出来ないのか。何が好きで、何が嫌いか。何をしたくて、何をしたくないのか」そういったことを、頭の中だけで考えるのではなくて、紙に書き出してみたり、文章に起こしてみるといい。

自分の頭の中って、自分じゃ見えないのよ。鏡を使っても見えない。だから人は自分のことを実は誰よりもわかってなかったりする。

自分自身を客観視するには、自分自身の思考をアウトプットするのが一番いい。

ぼくがこのブログに「脳窓全開ブログ」と名付けているのも、「ぼく自身の頭の中をブログ形式で披露する」という意味の他に、「自分の頭の中を棚卸しする目的」も兼ねている。

取り留めもなく書いてしまっているので、話がそれてきてしまったのでまとめる。

  • 「自分が何者であるか」なんて、死ぬ間際にでも考えればいい。
  • 自分がわからなくなったのなら、「自分は何が出来て、何が出来ないのか。何が好きで、何が嫌いか。何をしたくて、何をしたくないのか」を、何らかの形でアウトプットして、客観視してみよう。
ぼくは、自分自身に対する哲学的な問いにあまり意味はないと思っていて、そんなもん考えるからわからなくなるんだと思ってもいる。

けど世の中には、考えないことでわかってくるものというものもある。これは正にそうした問題だろう。

「哲学」なんて、どうせ答えなんてないのだから。

 
 

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