再読。やっぱり面白かった。

まずはじめに断っておくと、このブログでも何度か書いているかもしれないけど、ぼくは「2010年4月10日」に、10年続けていたタバコをこの日を境に断っており、それ以降1本も吸っていない。(現在はニコチン・タールゼロのvape(電子タバコのようなもの)をごくたまに嗜む程度)

それが可能になったのは、紛れもなくこの本に出会えたからだ。

では何故、いまこのタイミングで再読を試みたかと言うと、こいつを借りパクされたからってのもあるんだけど、一番は「このブログで感想文を書きたかったから」というのが大きい。

あと、ここに書かれていることを改めて学び直すことで、いま真剣に取り組んでいる「減量」や、各種「マインドセット」の足しになればいいなと考えたからだ。

また、これから「タバコをやめる」ということを少しでも考えている人はもちろん、「自分は好きで吸っている」と思っている人に、少しでも足しになればいいなと思っている。

あと、因みにぼくは「タバコを辞めること」を「禁煙」と呼ぶのが嫌いなので、「卒煙」と呼んでいます。以降、禁煙のことは「卒煙」と表記していきます。

※理由についても併せて「続きを読む」以降で説明します。

あと、クソ長いので、目次的なものを用意します。

●目次

目次
1. タバコを辞めることを「禁煙」と呼んでいるうちはやめられない「2つ」の理由

2. 「好きで吸っている」は大きな間違い

 2-1. 「タバコを愛している」は単なる幻想
 2-2. 好きだから「辞めない」?その「辞めない」理由とは

3. タバコを辞めることは、何も怖いことではない

 3-1. タバコに対する恐怖の根源とは?
 3-2. タバコを辞めて何が変わるのか

4. 「タバコに怯えなくてもいい生き方」
 4-1. タバコを辞める「本当のメリット」とは

5. タバコをやめる上で「絶対にしてはいけないこと」

 5-1. 喫煙欲求を「代替品」で紛らわす
 5-2. 減煙・薬理的な治療。
 5-3. 精神力だけで「ガマンする」

6. 最後に

 1. タバコを辞めることを「禁煙」と呼んでいるうちは辞められない「2つ」の理由

よく、タバコを辞めることを「禁煙する」という言い方をするが、まずそもそもの話、これが大きな間違いだ。

まず、多くの人が2つの異なるシチュエーションにおいて、「禁煙」という言葉で表現しており、これが、「タバコを辞められない原因の1つとなっている」とぼくは考えている。

というのも、「禁煙」という言葉の意味は、本来的には「喫煙を禁じる」ということにある。例えば、公共の場において、場所或いは時間帯によっては吸うことを禁じられるというものだ。

しかしどういうわけか、タバコをやめようとする行為のことも、この「禁煙」という言葉で表現している。

タバコを自分の人生から「断絶」したいという強い気持ちから、喫煙を「禁じる」ということで「禁煙」と言っているのだろう。

では何故、「禁煙」では辞めることが出来ないのか。理由は「2つ」ある。

  1. 「禁止」という抑圧的なストレスを伴うから
  2. ともすれば「限定的」なニュアンスも含んでいるようにも見えるから

この2つだ。

1. 「禁止」という抑圧的なストレスを伴うから

タバコをやめる上で最も障害となるのは、他ならない「抑圧的なストレス」だ。

詳細については後述するが、タバコを吸う理由の1つとして「ストレス」を上げる人も多いと思う。

しかし、タバコをやめるにあたって、自分自身に対して「禁止事項を設ける」という行為自体が、そのまま喫煙欲求となって跳ね返ってくるのである。

これは、「ダイエット」とよく似ている。

ダイエット中にスイーツとか脂っこいものを「禁止」にしてしまうと1.5倍それが欲しくなり、誘惑に負けたときには、2倍摂取してしまい、結果リバウンドする、というデータもあるそうだ。

故に、「誘惑と戦う(ガマンする)」という方法は、むしろ失敗するリスクのほうが圧倒的に高いものとなるため、「禁止」することは逆効果でしかなくなる。

また、自分自身で「禁止」にしなくても周囲から「禁止」されることも同様だ。周囲が嫌煙家ばかりだと、無言の禁煙圧力がかかることで返ってそれがストレスとなり、吸いたいという欲求に歯止めが効かなくなる。


2. ともすれば「限定的」なニュアンスも含んでいるようにも見えるから

先述したように、日本語として使われている「禁煙」という言葉の意味の中に「ここでは吸っていけません」とか「この時間帯は吸ってはいけません」という風に、「時間や場所を限定」されるケースが往々にして有る。

これは言い換えれば「その時間・その場所でなければ吸ってもいい」という意味にも取れる。これは、自分自身に課す「禁煙」においても同様のことが起こり得る。

例えば、禁煙を「始めた」とか、「禁煙生活×日目」という言い方をする人がいるが、ぼくから言わせれば、「禁煙を始めた」と言っているうちは、リアルに90%くらいの確率で、その試みは失敗すると断言してもいいだろう。

禁煙は「始める」ものではない。喫煙を「終わらせる」ことだ。

あなたがやるべきことは、「禁煙」という新しい行為を始めることではない。今まで継続していた喫煙という悪習慣を絶ち、「タバコを辞めること」だ。だから「禁煙を始める」という日本語はそもそもがおかしい。

それに「始まり」があるということは「終わり」が必ず存在するということだ。禁煙を始めたら、いずれその禁煙は終わりの時を迎えてしまう。

だから、「禁煙を始めた」なんて言い方はしないほうがいい。喫煙から卒業するのだから「卒煙」とでも呼べばいい。ぼくはそう呼んでいた。

たかだか「言葉の使い方くらいで」と思うかもしれないが、減量も卒煙も、心理戦でありマインドセットだ。

自分の目標を明確化し、それを達成させようと考えるなら「どういう言葉で自分に言い聞かせるか」というのは、非常に重要だとぼくは考えている。というよりもそこを軽視している人が多すぎる。

良くも悪くも、人は言葉1つで簡単に変われるのだ。


 2.「好きで吸っている」は大きな間違い

2-1.「タバコを愛している」は単なる幻想

ぼくの周辺の喫煙者に対し、ぼくがこの本でタバコをやめた話をすると大抵、「いやおれは好きでタバコ吸ってるからなあ。そもそも辞める必要がないんだわ」と異口同音にいう。

これはぼく自身もかつて大いに勘違いしていたことなんだけど、そもそもタバコがやめられない人は、タバコのことなんて好きでもなんでもないはずなのだ。「タバコを愛している」なんてのは幻想であり、喫煙理由を自己正当化しているだけだ。

例えば、ぼくは「ラーメン」が好きだが、今年に入ってからラーメン屋には一度しかいっておらず、汁物のカップラーメンに至っては、今年は一切食べていない。カップ焼きそばとて、かなり限定的にしか食べていない状況だ。あんなに好きだったのにだ。

では何故「やめてられている」かというと、減量と健康維持を目的とした食事制限を自分に課しているためだ。

「好きなもの」は目的があれば、限定的であれ恒久的なものであれ、心構え一つでやめたり制限できたりする。

そうした理由がなかったとて、「好きな食べ物」程度なら、ぼくのように2~3ヶ月封印したところで「禁断症状」もおこらないし、それによってイライラしたりすることもない。何故なら、好きなものを失った際の喪失感は「寂しさ」からくるものでしかないからだ。

しかしタバコはどうだろうか。

2-2. 好きだから「辞めない」?その「辞めない」理由とは

好きで吸っているのなら、ぼくのカップラーメンのように、「試しに1ヶ月位吸わないでみる」ということができるはずだ。人間は、実は「好きなもの」についてはいつでも手放せるはずなのだ。

では、それが出来ないのはなぜか――答えは簡単。「好き」なのではなく「怖いから」だ。タバコを失う喪失感は「寂しさ」ではなく「恐怖」なのだ。

そもそもの話として「吸えば100%体に害を及ぼす」ばかりでなく「周囲にも煙を撒き散らして不快な気分にさせ」剰え、「自分自身も咳き込んだり喉がいがらっぽくなったり頭痛がしたり」場合によっては、「死に至る」

そのことを多くの喫煙者たちは理解しているにもかかわらず、そんなものを本当に「好き」で吸っているとしたら、相当頭おかしいとしか言いようがない。正気の沙汰じゃない。

なので、「好きで吸っている」は大きな間違いだ。「やめるのが怖い」だけなのだ。それを理解し、認めることができれば、タバコを辞めるのなんて簡単だ。

 3. タバコを辞めることは、何も怖いことではない

3-1. タバコに対する恐怖の根源とは?

では「辞めることの何がそんなに怖いのか」ということだが、実際にたばこをやめることを怖がっている人は、「タバコを辞めた自分に起きる変化」について、1ミリも想像できていないのである。

つまり「タバコを辞めちゃったら、どうなっちゃうんだろう」⇒「何が起きるかわからない」⇒「怖い!」という恐怖なのだ。

もちろん、吸うことによる健康面においてのデメリットを理解しながら吸っているので、吸っていない状態がどんなものなのかは、理屈ではわかっているのだろうが、それは「分かった気でいる」だけでしかない。

そればかりか、「言うて健康面なんて、大して変わりゃしねーだろ」とさえ思っているはずである。かつての自分もそうだった。

事実、年中体調悪いわけではなく、普通に体調がいい日もある。そしてそんな体調がいい日の朝に吸うタバコは、最高にうまいとさえ思ってさえいたくらいだ。

だから多くの喫煙者は「タバコを辞めた後の人生」を想像できないでいるし、もっというと「現実から目をそらす」という形で「喫煙の正当性」について、必要以上に大きな声で訴えようとするのである。それさえも幻想でしかないということにも気付かずにだ。

3-2. タバコを辞めて何が変わるのか

では、「タバコを辞めた後の人生」というものがどういったものになるのかというと、辞めることによるデメリットがないという意味で言えば、結論を言うと「何もないし、何も起こらない」

「何だよ!何も変わらないなら辞める必要ないじゃん!」と思うだろうが、そう考えてしまうのは、完全に脳みそがニコチンで汚染されてしまっている証拠だ。

何も変わらないというのは、「いい意味で」ということだ。何かを犠牲にしたり、失うものなんてのは何もない。辞めることによる「メリット」は格段に増えるが「デメリット」は何一つ無い、という意味で「何も変わらないから安心して」ということなのだ。

 4. 「タバコに怯えなくてもいい生き方」

4-1. タバコを辞める「本当のメリット」とは

一応メリットについても記しておく。

メリットと言う意味でいうと、「時間やお金が浮く」なんてのは当然のことであるが、一番は「タバコに怯えなくて済む」ということだと思う。

タバコを吸っている間は、常に残り本数を気にしてたり、次に吸えるチャンスが当分の間訪れないとわかった時に焦りが生じるので、「吸えるうちに吸っとけ」とばかりに「吸い溜め」をする。

吸い溜めが出来た時はまだいい。問題はそれが出来なかった時だ。前回喫煙時からの時間が空いていればいるほど、「タバコを吸えるチャンスはないか」とそわそわし始める。

タバコのことが気になって気になって仕方がなくなり、タバコのことで頭が一杯になり、結果集中力が散漫になる。

タバコを辞められれば、そうした心配事からは一切解放される。そんな心配をする必要がなくなる。

自分の人生から、「お金」と「健康面」を害する、割と大きめな心配事が1つ無くなるって、実は結構すごいことだということを認識したほうがいい。

 5. タバコをやめる上で「絶対にしてはいけないこと」

最後に、タバコを辞める上で「絶対にしてはいけないこと」について記しておく。タバコを辞める上で絶対にしてはいけないことは、以下の通り。

1. 喫煙欲求を「代替品」で紛らわす
2. 減煙・薬理的な治療。
3. 精神力だけで「ガマンする」

5-1. 喫煙欲求を「代替品」で紛らわす

無意味だし、何ら根本解決になってない。

結局は、喫煙欲求を「別のものに置き換えているだけ」でしかない。つまりそれは「喫煙行為」と、本質的な部分で何も変わらない。

先述したように、「タバコを吸いたい」という欲求の根源は「心理的依存」だ。そこから脱却出来ない限りはタバコを辞めることは不可能だ。

タバコを辞めるためのゴールは「吸いたいとも思わなくなること」であるからして、別のもので代替しているうちは辞めることなど100%不可能だと断言していい。

その方法で「そのうち吸いたくなくなる」なんてことはありえない。タバコの代わりに別のものを口に入れるということが習慣化すれば、それを切らした時やそれが不可の状況になった時に、精神的に不安定になるはずだ。

故に「根本解決になってない」ということである。

5-2. 減煙・薬理的な治療。

所謂「ニコレット」的な、微量のニコチンを含むガムやタブレット等で徐々に減らしていくという方法だが、これもほとんど意味がない。

特に「減煙」なんて一番、逆効果だ。

上記1の「代替療法」とも通じる話だが、何度も言うように「喫煙欲求=心理的依存」であるからして、減煙などしようものなら、タバコの本数に制限がかかる分、より一層「吸いたい!」という気持ちを強くするだけでしかない。

序盤の方に書いた「ガマンすることで1.5倍欲しくなり、誘惑に負けた時に2倍摂取してしまう」というのと同じ理論だ。

また、ニコレット的な薬理療法についても、結局やってることは減煙とも変わらないし、先述1の代替療法とも大差はない。

5-3. 精神力だけで「ガマンする」

一番やっちゃいけないのがこれ。まあ、結局の所これは上記2に通じる。

喫煙者はストレスを感じれば感じるほど喫煙欲求が高まるからして、精神力でガマンするなんて言うのは、自らそのストレスを作り出しているようなものだ。全く意味がない。

また、「近々子供が生まれる」等、何らかのキッカケで卒煙に向けてのモチベーションが上がったとしても、精神力だけで喫煙欲求をねじ伏せようだなんて考えないほうがいい。

ダイエットでもそうだが、自分自身に「禁を課す」というのはそれだけで逆に欲求を高めてしまう。人は「やってはいけないことをやりたくなる」生き物だ。

それに人は、何かの拍子にそれが崩れた時や、心が折れてしまった時に立ち直れなくなる。最初に掲げていた志が高ければ高いほど、その時の精神的ダメージは大きく、著しい自己嫌悪となり、最終的には「もうどうでもいいや」となってしまうのだ。

 6. 最後に

おそらく、このブログの1200本位ある全記事の中で最も長い記事を書いてしまったと思う。長くなりすぎたので分割しようとも思ったが、そもそもこれは「禁煙セラピー」という本の感想分として書いている。

故に分割しづらいという事情もあるし、それにこれは一息で全部読んでいただいたほうが逆にいいと思う。

まあ、ぶっちゃけ全然感想にもなってないし、ここで書いたことはほとんどが「ぼく自身の体験に基づく言葉」で書かれていて、禁煙セラピー内に書かれていることを引用したわけではない。

書いた内容については、その方向性が概ね一致しているだけであり、大半はぼくからあなたに向けて書いた「卒煙のためのマインドセット」だ。

なので、もしかすると人によっては、ぼくのこの文章で覚醒して、卒煙できる人もいるかも知れない。そういう人は、禁煙セラピーを読まなくても大丈夫だろう。

要は、タバコを辞めるために必要なことは「辞めることは怖いことではない。タバコは吸わなくてもいい。タバコを始める前にあなたに戻るだけだ」ということを認識できればいいだけだ。

ここまで読んでくれて、少なからず1個だけでも共感してくれたり、なるほど!と思ってくれたり、もしかしたらやめられるかもしれない、と自分自身に希望を見出せたのなら、本書の購入を強くおすすめする。

ここまで読んでいただいた人、どうもありがとう。





 
 

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