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【お題】学生時代の「得意&苦手な科目」なに?

■お題:学生時代の「得意&苦手な科目」なに?

 

●得意科目

「英語」と「社会」と「簿記」かな。

 

●苦手科目

「数学」と「科学」と「国語」かな。

 

 

苦手その1:国語

 

文章をよく褒められるぼくですが、意外にも国語が苦手でした。こんなブログを毎日書いているのにですよ?

 

まあ、苦手っていうか「嫌い」といったほうが正しいんだけども。「漢字」はものすごく得意なんですけどね。何故か幼稚園の頃から漢字が読めてたんですよ(マジで)。

 

もう本人にその気がなくても、漢字なんか自動的に脳にインプットされてたので、漢字テストとか漢字ドリルで苦労したことなんか、マジで1秒たりともない。なので、低学年の頃の授業が退屈で退屈でしょうがなかった。

 

結局高校卒業するまでどころか、大人になってからもずっとそんな感じ。

 

 

苦手その2:数学と科学

 

自分自身でも意外に思うんだけど、所謂「理数系」が学生時代てんでダメだった。埼玉県民人なので、中学の頃「北辰テスト」っていう偏差値の出るテストがあったんだけど、それで「数学4連続4点」という記録を叩き出したこともある。

 

反抗期という名の重度の中二病を患っていたぼくは、「こんなもん大人になってから何の役に立つんだ」と言った定番の決まり文句ばかりか、「オレの感情や人生までは数字では測れないのさ」などという実に意味不明・不可解な屁理屈全開で、数学という学問を拒絶していたものだった。今思うとただただ恥ずかしいだけでしか無い。

 

でも大人になってからわかったけど、「国語・数学・科学・社会・英語」という主要5科目の中で、大人になってから一番役に立つのって間違いなく「数学」だと思う。これはもうマジで間違いない。

 

眼の前で起きている問題を「数式」を使って解決に導いていく、という行為において求められるものは即ち「論理的思考力」な訳で、所謂理数系の学問はこの部分が鍛えられる。要は「考える力」が鍛えられる唯一の学問なわけだ。

 

なので、学生時代を思い返すと、数学が得意だった人は大体勉強そのものが得意だった人が多いようにも思う。思考力が優れているから所謂「地頭」がいいんだろう。

 

 

得意その1:社会

 

とは言え、社会が得意だったのは高3のときだけで、それ以前は全くダメだった。高3のときの先生が無駄のない先生で、テストの前にちゃんと範囲を絞ってくれて、板書もものすごく丁寧にやってくれる先生だったので、元々暗記メインの教科ということもあり、勉強がとにかく楽だった。

 

 

得意その2:簿記

 

ぼくの通っていた高校はビジネス系(商業系)の学校だったので、普通に簿記が通常科目の中に入っていた。

 

ところがこの簿記という教科は数学と一緒で完全に積み重ねの学問なので、何処かでつまずくと、そこをクリアしない限りは先に進めない。高1の時の先生が教え方が下手くそで、ものの見事につまずいて、高3まではひどい有様だった。

 

簿記、数学、英語は学力に応じてクラス分けがされていたんだけど、簿記と数学は3年までずっと最下層のクラスだった。
 

ところが高3のときの教員ではない「講師(教科を教えるだけの人員で、学校行事や生徒指導には入ってこない人)」がすごく教え方の上手い人で、高3の段階で高1のところからやり直し、その面白さに目覚めてしまい、僅か4ヶ月で遅れていた2年分を取り戻した。

 

で、そのまま調子に乗って「日商簿記3級」も取得した。

 

簿記は積み重ねの学問ではあるけど、一番最初の基礎の基礎である「5分類(資本(純資産)・資産・負債・費用・収益)」と「仕訳」さえできれば、後はどうにでもなる。というより、それが出来ないと何も話にならない。ぼくは高1の時ここでつまずいてしまっていた。

 

これを身につくまでしっかり反復してやっていれば、3級レベルなら後はおまけみたいなもんなので、ちょっとだけがんばれば誰でも取れる。

 

 

得意その3:英語

 

これも何故か得意だった。ぼくが英語を得意になった背景には、やっぱり「音楽」の影響も紛れもなくあると思う。

 

あと「漢字」のときと非常によく似ていて、「単語」だけだったら何の苦労もなく覚えられた。文法は苦手だったが、中3のときの先生がこれまた非常に教え方のうまい先生だったので、途中から英語の授業が俄然楽しくなってきたのを覚えている。

 

英語は数学と違って積み重ねの学問ではないから、途中がわからなくても、後からいくらでも取り返せるので、勉強は非常に楽だと思う。だがしかし、学校教育の英語は、社会に出ても何の約にも立たない。

 

何故ならば、言語の学習に必須である「聞く・話す」をせず、いきなり「読む・書く」から始めているからだ。

 

コレは言うなれば、水に浮くことも出来ない人がいきなりシンクロナイズド・スイミングをやろうとしているくらい無駄なことだ。

 

我々日本人は、日本語を覚えるのにいきなり読み書きから初めてなどいない。聞く・話すといったところから始めている。そうしなければ言語なんて到底覚えられないし、そもそも言語の根幹をなすものは音声によるコミュニケートであり、文字は所詮それをアシストするための記号ツールでしか無いからだ。

 

では何故、学校教育では読み書きから入るのか。答えは簡単「受験のため」だ。

 

受験前提の学問なのだ。そして受験とは「学校に入れるため」でも、「実力をテストするため」にあるものでもない。「落とすため」に存在しているのだ。故に、全く実用的ではない学習をさせられているのである。

 

なので、学校教育の英語は、実に数学的な内容となっている。事実、アメリカの大学生が日本の高校生の英語の問題を解けないというのはあまりにも有名な話だ。

 

しかし数学と決定的に異なるところは、数学は問題を「数式化・モデル化」することにより、要は「抽象的・簡略的」にすることで効率的にソリューションしていくのに対し、学校教育の英語の場合、言語という直接的なものをわざわざ「数式化」することで、意図的に難しくしている。

 

なので、本気で英語を話したいと思ったら、学校英語なんか勉強しないで、英会話スクールに通ったり、留学したり、生活拠点を英語圏の国に移すなどして「否が応にも英語を話さざるを得ない環境に身をおくこと」しかないのである。

 

 

…熱くなりすぎてすげー話逸れちゃった。もう眠いしこの辺で辞めておこう。はい!今日の授業はここまで!

 

 

 

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