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「怒る」ことと「叱る」ことの違いがわからなければ、部下も子供も育たないぜ。

●前回の記事

 180410(火):掛け持ちのバイトを辞めるその日に、一番イヤな仕事をしたよ日記

 

前回の日記からの続き。寧ろある意味こっちが本題。

「怒る」ことと「叱る」ことの違いをわかってない人があまりにも多い。

 

 

■そもそも「1回で覚えろ」って前提がおかしい

 

仕事を習熟するスピードってのは人それぞれ異なるわけで、それは仕事の難易度とは切り離して考える必要があると、ぼくは思っている。飲み込みの早い人もいれば、遅い人だっている。

 

それに、その人のシフトの入り方(どの時間帯に・週に何日・何時間か)によって、教わった内容を実践するチャンス等も異なってくるため、そう考えると「仕事を1回で覚えろ」というのは、実は前提としてそもそも現実的ではないわけだ。

 

第一、ぼくの経験上で言わせてもらうと、「仕事を1回で覚えろ」という輩に限って、教え方が下手で雑だ。このセリフを言う人で、仕事の教え方がうまいなと思った人を見たことがない。というより下手だからこそ「1回で覚えろ」とか言っちゃうんだと思う。

 

仕事を1回で覚えられるかどうかは、教わる側の問題ではなく、教える側の「教え方スキル」の問題だ。断言してもいいが、部下の能力が低い理由の大半は、教える側の教え方・育て方が下手くそだからだ。

 

仕事を1回で覚えろというのなら、まずはお前が「仕事を1発で覚えられるように上手く教えてみやがれ!」って話だ。仕事は覚えるより、教えるほうが100倍難しいということをわかっていないと、人に仕事を教えることなんて出来ない。

 

 

■ノウハウを「伝達することだけ」に終止しちゃってる人

 

確かに「仕事を教える」って、ぶっちゃけ教える側の作業コストは高いと思う。だからこそ、この「教える」という部分を最小化したいという気持ちもわからなくはない。

 

だが本来の目的は「仕事の手順を教えること・伝達すること」ではなく「その仕事の内容やおこなう意味を理解してもらうこと」だとぼくは思っている。手順だけ伝えたって、内容の根本的な意味や趣旨の理解に至らなければ、何の意味もない。

 

どんなに厳しく教えようが、どんなに優しく教えようが、最終的に教わる側が理解できなければ意味なんてないのだ。もちろん、教わる側の「理解力」というその人の地頭に依存する問題もある。けどやはり、そこも含めて見極めた上での「教え方」の問題だ。

 

そいつが使い物になるかどうかは、教えたかどうかでは測れるわけがない。教えた上で「理解できて」はじめて成立することなのだから。

 

なので、教えるコストを最小化したいのであれば「会得するために必要なカロリー」を最小化しなければ始まらない。そしてそのために必要なことは「なぜ・どういうタイミングで、それをおこなう必要があるのか」という意味を理解してもらうことだと、ぼくは考える。

 

 

■意味や理由等の「理解」が深まることで、習熟は早まる

 

ぼくは仕事を教える時はいつも「その仕事の必要性(意味や理由)」について必ず説明するようにしている。その方が理解が早まると思うからだ。少なくともぼく自身はそうだ。

 

何故それをする必要があるのか、という理由を知った上で望めば、正式な手順を教わっていなくとも、「大体こんな感じだろうな」という予想がつく。予想できた上で手順を学べば、パターン化・モデル化しやすいので、頭に入りやすい。

 

人が何故、仕事をサボったり手を抜いたりするかと言うと、面倒くさいのはもちろんそうなんだが、「そこまでガッチリやるほど重要じゃななくね?」と感じるからだと思う。つまり「ちゃんとその必要性・重要性・意味」を理解していないからだ。

 

だから仕事が「雑用化」することとなり、クオリティが下がるのではないか。

 

 

■仕事を教えることに向いている人・向いていない人

 

ぼくが思う「教えるのに向いている人」は「習熟のスピードが遅かった人」とか「覚えるために、自分なりにいろいろ工夫してきた人」で、逆に、向いていない人は「最初から何も考えなくても、ある程度そつなくできちゃう人」だと思う。

 

まず「できちゃう人」についてだが、これは、良くも悪くも「大して頭を使わないで出来ちゃうから」だ。

 

頭を使わないでも出来ちゃう人は「それを論理建てて人に言語化して説明すること」が本当に下手くそだ。多分、この手の人は「右脳タイプ」なんだと思う。

 

物事を映像とかイメージで捉える力に長けているから、手足が簡単に動くし、そのために使っている脳みそも回転が早いのではないかと。

 

専門的なことはわからないので、完全な予想だが(恐らく間違ってはいないと思うんだけど)仕事をする時に使っている脳みその領域と、仕事を教える時に使う脳みその領域って、多分異なるんだと思う。

 

要は、選手としては一流でも、監督としてはまるでダメみたいな感じを思い浮かべてもらえればわかりやすいかなと。もちろんその逆もまた然り。

 

「習熟のスピートが遅かった人」は、身につけるまでに苦労してきている分、自分で内容を論理建てて理解を深めているんじゃないかという気がする。こういう人は大体「自分なりの覚え方」というか、「自分はこうやって覚えたよ」という、独自の虎の巻みたいなものがあることが多い。

 

なので、こういう人から仕事を教わるのが、実は意外と早かったりする。

 

※もちろん、すぐに覚えるのが早いという人の中にも「理論立てて説明するのが上手な人」というすごい人も居るのは承知のうえです。

 

 

■「怒ること」と「叱ること」の違いについて

 

当初書こうとしていたことからはみ出してきちゃってるので軌道修正。というかそろそろ本題。

 

部下や同僚の仕事の出来が悪いからということで「怒る」人が居るが、コレはまったくもって無意味だということだ。「短気は損気」という諺があるが、まさしくその通りだと思う。

 

「怒ること」と「叱ること」の違いは、「感情的であるかどうか」と「愛情を持って接しているか」というところだと思う。

 

「怒り」という感情も、その根源が「愛情」という部分に由来することはあるだろう。しかし「怒ること」は単に、そのエネルギーをブチ撒けているだけに過ぎない。根幹にあるものがどうあれ「感情をブチ撒ける行為そのもの」に愛はない。相手を攻撃しているでしかないのだから。

 

つまり「怒ること」は「自分のため」にしていることでしかない。人は怒っている時、相手のことなど考えていないはずだ。

 

片や「叱る」というのは「相手のため」にしていることだと思う。(究極的に言えば、人は「誰かのため」に何かするってことは出来ないんだけど、ここではそれは一旦置いておく)まあ、相手のためと言うか「相手のことを考えて」していること、なんだと思う。

 

 

■最後に

 

要するに何が言いたいかって言うと、「教え方の下手くそさ」を棚に上げて、仕事ができないことを感情的に「怒って」いたって、現場環境が悪くなることはあれ、よくなることなんて何もないよってことなんです。

 

前回記事の女の子にそれを話したら「いや、でも実際やるようになりましたよみんな」って言ってたけど、それは君が口うるさいからだよ?って話だ。「やらないとアイツにまたガミガミ言われて面倒くせえから」っていう理由でやっているだけに過ぎない。根本は何も改善されていないのだ。

 

そしてそういう現場は、そのままいくと例外なく「ブラック化」する。自分以外を尊重しないからだ。

 

そもそも「怒って」得られるものって何もないんですよね。すっきりも、しそうでしない。気まずい空気だけが充満して、その職場の空気は淀んで汚染されていくだけ。誰も得しない。

 

これ、まんま子育てとかにも言えるんじゃないかと思う。公衆の面前で子供に暴言を吐いている母親って、見た目からして民度低いし。

 

でも、こんな偉そうなこと言ってるけど、実際「怒り」という感情をコントロールするのって難しいなと思う。ぼくは、少なくとも仕事においては大分抑えられるようにはなってきたと思うけど、言うてもぼくも根は短気だ。そしてそれが自分の最大の欠点だということも理解している。

 

なので今度、改めて「アンガーマネジメント」についての本とか読んでみようと思った。

 

 

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