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「フェス」も「世代括り」も、どっちも嫌い2

■音楽フェスは「現実逃避」か? ロスジェネにウケた「本当の理由」■
2017年07月27日 - withnews

※内容としては、フェス文化に詳しい神戸山手大学の永井純一准教授へのインタビューという形式にて語られているもの。

※前エントリ:「フェス」も「世代括り」も、どっちも嫌い

 

前エントリでのコメントのレスを書きながら自分で納得がいったというか、この記事を読んだ時に感じたもやっと感が、少しクリアになった気がしたのでそれを書いておく。とは言え、前エントリでのコメントに書いた内容をそのまんまコピペしたような内容になるんだけども。

まず、この記事のタイトルの「ロスジェネに受けた本当の理由」って言う時点でおかしいというか、勝手に既成事実的な前提を作ってる時点で主観でしかない。この時点で論文はおろかコラムとしても体を成してない。

せめて「ロスジェネに受けた」って部分は、記事を読まずとも誰が見ても「既知の事実」として存在していなければならないはず。

だけど、そもそもフェスの流行性を誰も世代論でなんて括らない(括る必要もない)から「ロスジェネに受けた」だなんて、当のロスジェネ世代も思ってないし、多分どの音楽評論家に聞いても「そうかぁ?」っていうと思うんだけどね。

で、一応記事中にはロスジェネに受けたとされる理由についての説明はあるにはあるんだけど、その理屈というか理由付けがこれまた全く納得感がないんだよね。

で、これはなんでだろうって考えたら、この永井准教授の言うフェスの定義が非常に曖昧な概念でしか無くて、それを世代で括ろうとしているもんだから、例えるなら「ヘタクソなパントマイム」を見せられている気分にしかならないんだよね。何を演じてるのかがわからないから、そこにあるべきものが見えないんだよ。

なので、仮にフェス人気の最大公約数が所謂ロスジェネにあると定義或いは仮定するにしても、世代括りという社会学的視点で考察する際には、寧ろまず最初に表面的なところからなぞって徐々に深掘りしていかなきゃ、この手の考察の行き着く先って「わけわかんない精神論」でしか無いと思うわけ。

なので普通であれば例えば、


・フェスに参加している人達を年齢別に見ると「30代前半〜40代後半(1970〜84年生まれ)」が多い。
 (この時点で正直「ホンマかえ」って感じだが。。。)

・では何故フェスは、この世代、所謂「ロスジェネ世代」に人気が高いのか。


って言う前提を立てる。で、ここまではいい。
ただ、この前提で考えたら、音楽を知っている人とかが音楽評論家的視点で見ると普通なら、


・(ロスジェネの中の言わば第一世代は)10代〜20代を「80年代後半〜90年台前半」にかけての所謂「第二次バンドブーム」の頃に過ごした世代である。


とか、ロスジェネの中の言わば第ニ世代である80年代前半生まれの場合なら、


・10代〜20代を「90年代後半のV系・メロコアバンドブーム」の頃に過ごした世代である。


という具合に、「ロスジェネのバックボーンにある音楽」についてまずは言及するのが普通だと思う。

にも拘らず、永井准教授はこれを社会学的に論じようとしてるもんだから、上記のような、世代で音楽を語る上で必須となる音楽的背景をガン無視して、ただ単に世代論に強引に当てはめているだけでしかないもんだから、何一つとしてピンとこないのではないかと思った。

因みにぼくがあえて「フェスの流行性の根幹をなしているのがロスジェネである」という前提で「フェスの流行性」を考察するとしたら、内容としては正に上記、音楽的背景を軸にこんな風に考察したい。
 

■幾つものムーヴメントを経て

まず、80年代の終わり頃〜90年代前半にかけての第二次バンドブーム時代のバンドが、限定的・恒久的にかかわらず徐々に再結成しだして、2011年3月11日の震災による「復興支援という名目による再結成」を皮切りに、所謂「再結成ブーム」が始まる。また、このブーム自体を後押ししていたものに、その少し前から始まっていた「カバーソングブーム」というものがある点も見逃せない。

そうした理由から、第二次バンドブームの頃をリアルタイムで知らない若者たちの注目も少なからず集め、かつ、リアルタイム世代が再結成に乗じて積極的にLIVEやフェスに参加するようになってきたのではないか、ということがフェス流行の要因としてまず1つあると思う。

また、第二次バンドブームの次のムーブメントである「V系&メロコアブーム」についても、ロスジェネ世代のちょうどド真ん中世代は、ここにも少なからず影響を受けている。

そうした中、本来的には親和性のないはずのこの2ジャンルが一堂に会すというイベントがこれまで存在しなかったところに「フェス」という、嫌でもウッドストックを想起させるような祭典が出てき始めたことが多くの関心を寄せたのだろうということも、理由の1つとして考えていいだろう。

 

■CDの売上低迷⇒音楽のデータ化

80年代後半から2000年代前半にかけての上記2大ムーヴメントの裏側で、それらも全て含めて「CD売上絶頂期」というものが、90年台の中盤から後半にかけてあった。

例えばMr.Childrenを筆頭に、丁度その少し前の92年頃にデビューしたバンドがブレイクしはじめたのもこの頃で、日本国内全体で、J-POP、V系ロック、パンク・メロコア系、HIPHOP等ジャンルを問わず、日本の音楽業界全体がかつてない盛り上がりを見せ始めた頃でもある。

しかし音楽CDの売上については、96年のピークを境に一気に下降していく。
MP3プレーヤーの登場である。

「音源のデータ化」に伴うプレーヤーの小型化により、ここから「音楽の聞き方」と言うもの自体がガラッと変わっていき、よりカジュアルに、よりスポーティーになっていったのではないかと思う。

また、音楽のカジュアライズもさることながら、00年代中頃に入ると、いよいよ無視できない媒体が出始める。
「YouTube」「ニコニコ動画」を始めとする動画共有サービスである。

これらの台頭により、音楽シーンは違法アップロード天国の時代となり、極端な話、CDを買わずとも音源が簡単に手に入る時代に突入しだした。

 

■音楽のファッション化■

そうした状況も相まってか、個人的には音楽がこのあたり(00年代後半辺り)からファッション化しだしたという気がしている。

もうこの辺になってくるとぼく自身、積極的に音楽の新規開拓は行わなくなってきているので、シーン自体にだいぶ疎くなっているので、以降の情報には誤りがあるかもしれないけど、まあいいよね。そもそも雑に書いてる考察だし。

で、00年台前半〜中頃のACIDMANやBUMP OF CHIKENのような、所謂エモ寄りなオルタナティブ・ロックを経て、00年代後半とか10年台に入り、そこから少しねじれたRAD WIMPSのようなエモとはまた少し異なる、なんていうかエモにサブカルが加わったようなちょっと変わったバンドが目立ち始めたのがこのあたりだと思う。

その最たる好例が、所謂「セカオワ」とか「ゲス極」みたいな、それこそ如何にもロキノン、ヴィレヴァン、美容師見習いが好みそうな「奇衒い系バンド名ブーム」が始まったことで、こーゆーかわった音楽聞いてるおれ、シャレオツ。というドヤ感を出す輩が増え始めた気がする。

なんていうか、90年代後半のJ-POPバブルが弾けて、J-POPが飽和状態になり、所謂平凡なリア充共の中にもいよいよ「有名所のJ-POPだけきいてるとかダサくね?」っていう空気が充満し始めたところでロキノン系どーん!って感じで。

そうした中にあって、所謂サマソニだ、フジロックだ、というフェスはそれこそ、前回の1で書いたように「ロキノンチェックして、その手のバンドを普段から聞いているおれ、シャレオツ」みたいなやつがイキるための祭典としてはうってつけのイベントではないだろうか。
 

■まとめると。。。■

フェスはロスジェネだけに受けたわけでも、またロスジェネが求めたわけでもなく、時代が求めた結果として存在しており、それはある種の必然性に基づくものであるということ。そこに至るまでの大小様々なムーヴメントを経て、時代が辿り着いた先にあるものであり、それ以上でも以下でもないということではないだろうか。

あと、この元ネタとなるインタビューに答えていた永井准教授は、きっと取材でしかフェスに参加したことはないんじゃないかな。元々音楽が好きでフェスに参加してこの考えに至ったとは到底思えない。熱がこもってない。

この人の意見は「フェスを楽しんでいる人による生きた言葉」というものが一切感じられないからだ。所詮、音楽を音楽以外の言葉で語ろうとすること自体がナンセンスであり、無粋であるということなのだろう。

なんか軽くまとめるつもりがいつの間にか長文になっちゃった。音楽のことになっちゃうと、この人と違ってぼくの場合、熱がこもってしまう。

 
 

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